窪田 裕司さん (現・由仁町夏まつり実行委員長)


Q.ご自身が初めて百足競走に参加したのはいつですか?どのようなチームで参加したのですか?

 

小学校の低学年だったと思います。よく覚えていないんですが(笑)、山形自治区に住んでいたので子供会でチームを組んで、1~2回参加したのは覚えています。他の自治区は6年生なら6年生で出場するチームが多かったんですが、山形自治区は子供の数が少なくて1~6年生で組んで出場しました。だから6年生だけのチームにはやっぱりかなわなかった(笑)。

 

Q.ご自身が参加していた当時の夏まつり、百足競走はどのような雰囲気、規模でしたか?

 

なんせ大きなお祭りで、レースに出たのは数回ですが、小学生の時は毎年夏まつりに行っていました。(旧)吉川商店の前から農協の前までがコースになっていて、沿道に人がびっしり!


町外からもたくさん見に来ていましたね!テレビの取材も何度か来ていたのを覚えています。参加チームも今より格段に多くて、とにかく迫力がすごかったですよ。

 

Q.すでに由仁町にとって名物となるお祭りだったんですね!実行委員として百足競走に関わるようになったのは何かきっかけがあったのですか?

 

平成23年に前実行委員会から現在の実行委員会へと変わりました。前体制の時代から商工会青年部長として委員に参加していたんですが、ある年の夏まつりのあとに、実行委員会を解散する(百足競走を辞める)という話を聞いてね。商工会青年部で引き継ぐことを独断で決めました!ところが、他の青年部員からは猛バッシングで。「なんもわからないのにどうやって引き継ぐんだ!」と責められましたよ(笑)。その後は協力してくれて、前体制の実行委員会のメンバーも引継ぎをしながら手伝ってくれたこともあり、百足競走を継続することができました。現在の実行委員会は観光協会の会長が務めることになっているので、同会長就任と同時に委員長になりました。今年で5年目になります。(新型コロナウイルス感染症の影響により3回中止となったため、百足競走開催は2回目。)

全体の進行状況を見ながらスタッフとの連携を図る

優勝チームや受賞チームを称え表彰状や景品を授与

Q.かなり厳しい状況の中、引き継がれたんですね!ご自身をそうまでさせた理由は何だったんですか?

 

“思いひとつ”です(笑)。自分が大人になった時にはすでにカントリーサインが百足でした。「カントリーサインにまでなっているものを無くしてはいけない!」そう強く思ったのが大きな理由です。あと、由仁ではこれまでたくさんのイベントが立ち上がっては消えていきました。他市町より先行して催されたはずなのに、なぜか長く続かない。この続かないという気質をなんとか打破していきたかったんです。

 

Q.「思いひとつ」の熱量が窪田(裕司)さんらしいです。実行委員をやられて一番大変なこと、また、喜びを感じることは何ですか?

 

大変だなと思うことは、先が見えないこと=後継者が見つからないこと。これが辛い!実行委員会を引き継いでからこれまでの間にも、商工会青年部員が減少してしまって。ひどい時には3人になり、実行委員会の存続自体危うくなりました。結局、役場や農協など他の力を借りて繋いでこれましたが、後継者探しの課題は続いています。

嬉しいことは、小学生時代にレースに参加していた子供が、大人になってからも参加してくれて優勝したりすることですね!賞金もしっかり持っていきました(笑)。あとは、連覇しているチームがディフェンディングチャンピオンを守ろうと、翌年も本気でレースに参加してくれること。この光景を見れるのが続けている醍醐味です。


 

Q.そのような中、コロナ禍で数年中止が続きました。どのような思いでしたか?

 

いろいろな理由で不安でした。百足競走自体が無くなってしまうのではないかという不安もあったし、丸3年が経過してしまい皆当時から4つも年を重ねてしまったことで、子供たちが進学してレースに出なくなってしまう。大人も、「もうレースはきつい」と引退してしまう、そんなことばかりが頭をよぎりました。中止が続いたことで町民の興味が薄れてしまうことも怖かった。

でも、嬉しいことに今年(令和5年)の由仁中学校の運動会で百足競走をやってくれたんですよ!子供たちが楽しそうにやっていてね!子供たちが興味を持ってレースに参加してくれるようになったらさらに嬉しいですね。

 

Q.様々な不安を乗り越えて今年、ついに4年ぶりの開催です!今後、百足競走や実行委員会をどのようにしていきたいか、夢や目標があればお聞かせください。(※この取材は令和5年6月22日に行いました。)

 

百足競走の競技性を高めていきたいです。近年は、(とてもありがたいんですが)障害物や仮装などレクリエーション部門への参加者が多くなり、一般男子や一般女子など本気で走る部門の参加者が減ってしまったので、また昔のような迫力のあるお祭りにしていきたいですね。そのためにレースカテゴリーも改変しました。

それと、実は昔、秩父別町でも百足競走を開催していた時期がありました。少し大きな話になりますが、例えば秩父別町のような他の地域で予選を行い、勝ち上がったチームが由仁の本戦でチャンピオンシップを争う、そのようなことができたら最高です(笑)。

実行委員会についても、商工会だけでなく他の組織や団体が関わり合って強い基盤がもう一度作れたら、これからも継続していけるのではないかと思いますし、そうしたいです。あと、自分が実行委員でもそうでなくとも50回までは開催したい、近くで見届けたいですね!もちろん60回、それ以降と続いて欲しいですが。実行委員だけじゃなくて、町民皆で思いを一緒にして取り組んでいければ必ず続いていくと信じています。

 

Q.最後に、子供や若い人たちに向けて、百足競走に対する熱い思いをお聞かせください。

 

まずは、おじいちゃん、おばあちゃんが立ち上げたお祭りを楽しんでほしい。そして自分が親になったら子供たちにも伝えていってほしい、お祭りを残してほしいです。あと、親御さんには、子供が百足競走をやっている時の顔をあらためて見てほしいです。すごく楽しそうな顔をしていますよ!百足競走は時代が変わっても、現代の子供たちでも楽しめるお祭りだということをこれからも伝えていきたいです。

 

 

(インタビュアー:NPO法人ユニライズ・橋本)