窪田 真澄さん (2000年初期/百足まつり実行委員長)


Q.ご自身が初めて百足競走に参加したのはいつですか?印象、感想などを教えていただけますか?

 

高校3年生の時、地元の古山ヤンガーズというチームに入り初めて百足競走に出場しました。昭和54年の第4回ですね。練習からとても緊張したのを覚えています。大人に混ざっての参加だったんですが、まだ僕より下に高校2年生がいました(笑)。必死に練習についていき、その年無事に古山ヤンガーズは優勝しました。

同年に、秩父別町で全道百足競走大会というのが開かれて、そちらにも出場させてもらいました。コースの距離も由仁は300m、あちらは500mだったので苦戦しましたね。結果は、予選がトップで通過、決勝は転倒して負けてしまいました(笑)。

 

Q.窪田(真澄)さんは優勝経験者でしたね!過去の勝敗(戦績)はどうでしたか?


古山ヤンガーズは、自分が出場していた期間で10回ほど優勝しているかな。当時は自治区対抗のようなものでプライドと期待を背負って、どのチームもかなりの練習を重ねて出場していました。だから、優勝してもすぐに次の年やり返されることもありました。あと、優勝すると自治区の年配者がカンパしてくれてね!それ持って出かけて行って、皆で大宴会ですよ(笑)。

平成15年あたりまで、約10年間は古山ヤンガーズで出場していました。何度出ても毎回前の日から緊張して緊張して。勝たなければというチーム全体から伝わるプレッシャーがすごかったんです。

それ以降は同年代のメンバーで作ったもうひとつのチームで参加していました。コロナ禍で中止になる前の45回まで毎年出場していましたよ!

 道道・滝の下由仁停車場線時代の表彰式

平成13年(2001年)の第27回から会場を文化交流館前へ

Q.まさに常勝軍団で鍛えられていたんですね!当時の夏まつり、百足競走はどのような雰囲気でしたか?

 

かなり賑やかでしたね!他の方も言われていますがテレビの取材も来ていたり。15~20分の特集を組んで放映してくれた番組もありました。

初めて競技に出場した第4回の頃は、今の旧由仁小学校から日甜(日本甜菜製糖株式会社の由仁支所)のあたりまで300mのコースで開催していました。当時は舗装もままならない路面だったので、コース上に起伏があったりマンホールがあったりで危うく転びそうになって(笑)。本番前には由仁小学校のグラウンドでしっかりウォーミングアップしてレースに臨むんです。優勝を目指してどのチームも真剣に準備していましたね。

 

Q.当時の臨場感が伝わってきますね!昔の百足競走は練習そのものが過酷だったと聞いています。思い出などを教えていただけますか?

 

当時は古山会館から長沼方面の山(道道夕張長沼線)に向かって練習していました。一番大事なスタート練習はもちろん、転倒した時に素早く元に戻れるように転倒の仕方まで練習していましたよ(笑)。そんな練習を夕方から1時間くらい、本番前日まで10日間続けてやりました。走り方もチームごとに少しずつ違うみたいでね!僕らは前の人を押すというより前の人のベルトを持って浮かすような感じで走る。それだけ真剣に練習してきたからか、ひとりで走るよりつながっていたほうが早く走れるような感覚になっていました(笑)。


あと、チーム内に陸上競技でインターハイに出場経験のある蛇谷さんというアスリートがいてね。他のメンバーは精神論のみだったのに対して、彼は走り方の理論でチームの仕上がりを見てくれる(笑)。だから強くなれたんだと思います。

 

Q.その後実行委員になり、さらに実行委員長になられますが、なにかきっかけがあったのですか?

 

第10回から15回の間に実行委員を3回やり、第24回から7、8年実行委員長を務めました。百足競走の運営や継続が少しずつ難しくなってきたのと、毎年チームを出すために各自治区の役員が大変で、参加を見合わせるチームも出始めてね。

20回もやってきたのだからそろそろ終わりにしてもいいんじゃないか、という空気になっていました。そんな中、初代から3期実行委員長を務めた吉田岩雄さんから、「百足まつり継続のために実行委員長をやってくれないか」と指名していただいたのがきっかけです。

 

Q.運営する中で一番大変だったこと、喜びを感じたことは何ですか?

 

当時、夏に行うそれぞれのイベントが規模縮小していたこともあって、百足競走を含めた各イベントを一つの夏まつりとして集約したんです。大変だったのは、24回大会の時。競技会場を駅前から文化交流館前(現会場)に移したんですが、会場を変更したことでいろいろな状況も変わって大変でした。しかも最初は北側から南側へ走るコースにしたんですが、走った人から「微妙にくだっているから危ないかも」と言われてしまって。全く平坦に見える道ですが、実は勾配があることを知りました。変に加速してしまったりして危険だということで、翌年から南側から北側へ走るコースに変えました。

嬉しかったのは、参加したチームの方が「実行委員会が頑張ってくれているから百足競走を楽しめる。来年もチームを作って出場するよ。」と言ってくれたことですね!年々参加を見合わせるチーム(自治区)が多くなってきた中でいただいた言葉でした。運営に関わってくれる人、関りを申し出てくれた人も多かったんですが、(感謝の気持ちもありながら)チームとして競技に参加してくれたら尚ありがたいと伝えました。先輩方から頑張れよと応援していただいたのも嬉しかったですね!

 

Q.様々な課題の中、周りの人との支え合いの中続けてこられたのですね!率直にお聞かせいただきたいのですが、近年の百足競走についてはどう思いますか?

 

1チーム12人制でスタートして、時代の経過とともに10人制、8人制、今の6人制に変わりました。チーム内の人数が減るということは走るスピードも速くなり、転倒した時の危険度はかなり高くなっていると思います。舗装道路の上で(生身の人間が)こんなに全速力で走るイベントもあまりないのでは。だから町外からの参加が少し心配ではあります。

転倒による多少の怪我は仕方ないのかもしれない。そのために毎回出場者全員を保険に加入させています。それでも、事故が起きて中止になったりしないよう、事故無く楽しいイベントとして続けていってほしいと願っています。

 

Q.これからの夏まつりや百足競走、実行委員会に対して期待することがあればお聞かせください。

 

ほんとうによく頑張っていると思います。私たちの時代は参加チームを50切らないことが目標でしたが、ついに下回る時が来てしまった。障害物や仮装など、レクリエーション部門を増やすことで参加しやすくして何とか維持していました。すごく大変なことだと思いますが、できるだけ多くの人に参加してもらえる工夫を続けていくことで、これから先も途絶えることなく百足競走を開催してくれたら嬉しいですね。

現実行委員長の窪田裕司さん、何より、ここまで続けてきてくれてありがとう。体に気をつけてこれからも頑張ってください!

 

 

(インタビュアー:NPO法人ユニライズ・橋本)