吉田 岩雄 さん(第1回~第3回百足まつり実行委員長)


Q.百足まつりの実行委員長を初代から3期務められています。百足まつりが始まったきっかけ、いきさつを教えていただけますか?

 

当時の由青協は、農業後継者を中心に、会社、商工、各種団体職員などで構成されていました。翌年に30周年を控えた29年目の年に委員長であったため、歴代委員長の大先輩方に集っていただき30周年記念の開催を決定しましたが、そこで必然的に30周年の実行委員長となりました。記念事業を成功させたいという思いのもとで、由青協のOBや仲間たちと何度も話し合い、式典、記念誌の発行、記念花壇の制作、そして、メインは青年達の意気と情熱、郷土愛を形にして表現したい、という思いから町に名物を作ろうということになり、継続事業の開催を決定したのでした。実は由仁の百足競走の歴史は古くて、青年会の陸上大会や各学校の運動会でも必ず行われていました。私自身も小学5年生から百足競走をやっていましたよ(笑)。


だから、由仁町民に根付いていた百足競走を30周年記念の継続事業にしようと思いついたときは嬉しくてね!必ず町民の皆さんに喜んでもらえる確信みたいなものを感じ、皆で心躍らせたものです。

由青協は16から28歳あたりまでのメンバーがいて、皆忙しかったはずなのに、仕事が終わる19時頃から22時頃まで集まって話し合ったり準備したり。年間200日は青年団活動をしていたんじゃないかな。ほんとうに元気だったよね(笑)。百足まつりは、そんな由青協の仲間たちと一緒に作った事業なんですよ!

第1回「百足まつり」(昭和50年8月9日開催)/優勝チームは西三川

昭和50年代の「百足まつり」の様子

 

Q.当時の吉田さんが、仲間の皆さんとともに百足競走を思いついた時の様子が想像できます。実行委員会を運営する中で一番大変だったことは何ですか?

 

実は人前で話すのが苦手でね。顔が真っ赤になって(笑)。最初の百足まつりでも、実行委員長だから挨拶させてもらうんだけど、途中で何話すか忘れてメモを取り出したりして。会場に笑いが起きてましたよ(笑)。

当時自分も26歳だったからまだまだ子供だけど、自治区長やOBの年配の方を相手に、自分たちがやりたいことをわかってもらえるように話さなければならない。生意気に思われるのを覚悟で「町を作り上げたい!」という思いをぶつけました。話下手な自分が表に出なければなりませんでしたが、周りの仲間たちが助けてくれて一緒に作りあげることができたのです。

 

Q.ご自身もレースに出られていたのですか?

 

もちろん出ていましたよ!ほら、百足競走歴は小学校5年生の時からだから(笑)。実行委員会をやっていた期間を除いて、55か56歳までずっと出ていましたね!膝を痛めてしまって(笑)、それ以降は出ていません。

 

Q.当時はどのようなチームで参加していたのですか?勝敗(戦績)はどうでしたか?

 

最初の頃は一般男子の部で出場していたのですが、残念ながらその間は優勝できなかった。その後は毎年、35歳以上のナイスミドル部門で参加して、優勝もしました!


Q.やはり吉田さんも優勝経験があるのですね!昔の過酷な練習、思い出などを教えていただけますか?

 

由青協の陸上大会に向けて、農家の仕事が終わった19時頃から昔古山小学校だった場所に集合してね。街灯も無い中、水が流れてぬかるんだような道路で、心臓破りの特訓と称して毎回1㎞は走っていました。それが半月くらい続いてね(笑)。もちろんとんでもなくきついんですけど、皆、窮地に追い込まれ過ぎるのか覚醒するんだよね。若さもあったんでしょう(笑)。

 

Q.皆さん一様に厳しい特訓を経験されているんですね。近年はコロナ禍での中止が続きましたが、令和5年は通常開催が決定し実に46回目となります。ここまで続いてきたことにどのような思いがありますか?

 

本当に素晴らしいことだと思います。平成10年頃だったでしょうか、実は当時の実行委員長から「もう百足競走を続けられないかもしれない」という相談を受けてね。歴代の実行委員長を集めて協議しました。そこで、窪田真澄さんに「実行委員長として続けてくれないか」とお願いしたんです。大変な中しっかり継続してくれて、今は観光協会会長の窪田裕司さんが続けてくれていることをとても嬉しく思っています。

でも、コロナ禍で中止が続いたのは心配でしたね。やらない期間が長くなると、子供たちにとって百足競走の技術そのものが途絶えてしまうと思って。今年の再開を聞いて安心しています。

 

Q.吉田さんの思いが次世代に伝わることで現在まで続いていることが、百足競走のようにつながっていく尊さを強く感じます。では、近年の百足競走についてはどう思いますか?

 

まずは、変わらず町民自らが参加をする祭りであってほしいなと思います。町民誰しもが参加できることで、どの世代も経験でき、地域の親睦が図れるようにとの思いで始めて、それを後継の人たちがしっかり繋いでくれました。

ただ、これからの運営は、奉仕をいただきながらも企業や組織にも参加してもらえるような、実益を得ることができる体験型観光の一環としてのまつり、という姿も有りかと思います。とても難しいと思いますが、夢はありますよね!私はもう年を取ってしまっているけど(笑)。若い人たちには新たな発想と可能性があると思います。

 

Q.最後に、これからの百足競走や、運営する実行委員会に対して期待することがあればお聞かせください。

 

これからも自分が応援できることは何でもしたいと思います。今の実行委員、これから関わってくれる人たちには、現在の形を保とうとするのではなく、こうしていきたいという目標を持って取り組んでいただけると嬉しいですね! 皆さんにはこれからの“新しい百足まつり”を目指していってほしい!今の実行委員長や周りの皆さん、彼らなら必ずできると思っています!

 

 

(インタビュアー:NPO法人ユニライズ・橋本)